明治25年(西暦1920年)頃、本郷囃子連を結成、原町囃子連から小田原囃子若狭流の囃子を伝授された
 その頃には、越生村(現越生町)と囃子の交流があり、またその後川原町囃子連とも交流を持った。
 大正9年(西暦1920年)9月飯能町のお祭りに宮本町へ山車・囃子連共に貸し出す交流が続き、その後昭和3年(西暦1928年)9月、宮本町へ出向いて囃子を伝授している。
 昭和15年(西暦1940年)11月紀元2600年奉祝式典、22年(西暦1947年)新憲法発布祝典の飯能町山車曳き廻しに参加した。また飯能町のお祭りには、前田、柳原への応援出演が続いた。        昭和30年(西暦1955年)長年続いた囃子連も衰退し中断となった。
 その後、昭和54年(西暦1979年)地元青壮年有志により囃子を復活、現在に至っている。

山車の後ろに付く茶番

戦後まもない頃の囃子連中

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