里宮
奥宮


御嶽八幡神社は、通称「おんたけさん」といい、誉旧別命・大山咋命・大巳貴命・少彦名命がまつられています。創立年代は不詳です。

多峯主山の前面にあって、一大岩壁の突き立つ所を前岩とよんでいますが、ここに古くから小社が鎮座して、多峯主山一面を守っていました。

江戸時代の末期に与平という入が、かねてから琴平宮を屋敷内にまつり、ひそかに信仰していました。

当時この山一帯は、黒田氏の領地で飯能村寄合名主の大河原氏か領主の委任を受けて管理していました。与平は大河原氏の依頼によって曽根刈りなど山刊事に当たっていましたが、ある日、前岩付近て昼寝をして目がさめてみるといつの間にか山麓にころげおちていました。不思議に思った与平は、この山に琴平宮をまつることを決心し、百余段の階段を築き、一族とともに参拝したといわれています。

明治の初め、御嶽教がさかんになり、丸田開元という人が中心となって、名主大河原又右衛門とはかり、信州の御嶽神社の分霊を安置し、同時に講をおこしました。その後明冶40年、武人八幡を合祀し、御嶽神社を改めて御嶽八幡神杜と改称しました。

御嶽八幡神社境内に併設されている、本郷八坂神社


現在の里宮は、永暦元年、摂
津から移ってきた源氏ゆかりの者が八幡神社を祀ったのが創建といわれ、村の鎮守様として村人に親しまれ信仰されてきたが、明治10年陽雲山の御嶽神社に合祀され社号を御嶽八幡神社と改めた。
大正10年に氏子等が武人八幡の故郷に仮屋を建て参拝していたが、昭和8年に社殿境内を整え、陽雲山から御岳八幡神社の分霊を祀り、鎮守様として崇めるようになった。その後、徐々に社殿としての体制を整え、充実されてくると共に、当所で式典・祭礼を行うようになった。
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